第一話−9


 レイリーは、脚を組んで膝に肘を乗せ、顎を掌で支えて言った。話を本題に戻さねば。
「それで……ええと? ローダ……ローダトゥ、ん、なんだっけ」
「むぅ。名前も覚えられんとは……致し方ない。特別にローダと呼ぶことを許そう。お前は話がわかりそうだしな」
「ああそ。そりゃどーも……で? ローダはあたしたちに、何をどうしろって言うんだっけ?」
「うむ、だからだな。お前たちに、唄う菓子を作ってもらおうと思って、我は遙々やってきたのだよ」
 再び、奈落のような沈黙が落ちた。
 改めて訊いてはみたものの――やはりどうにも、リアクションできない。唄う菓子。聞き間違いではないようだ。
 こいつは頭が悪いのだろうか?
「唄う……お菓子」
「うむ」
 確認するようなマイクの呟きに、しっかりと頷く吸血鬼ローダ。目を閉じて、なにやら感慨深げな様子である。
「ずっと探していたのだ、お前たちのような人間を。ここしばらくは、我も疲れて静かに生活しておったのだが……ルーディア王国の菓子職人の話を聞き及び、十の夜を飛びに飛んでやってきたというわけ――」
「ちょちょちょちょっと待ってお願いちょっと待って。いいから待って」
 無理矢理彼を遮って、レイリーはゆっくり考えた。まず、何をどう言うべきなのだろう――言わなければならないことは山ほど思い浮かぶのに、どれからどう喋ればいいのかがまったく整理できない。向こうとこちらの、いわゆる常識というやつに、理解しがたいような隔たりを感じる。
 結局、
「……お菓子は、唄わないわよ?」
 端的にそう言うに至ってしまったのだった。
「? 何を言っているのだ?」
「いやだからそれはこっちのセリフ。あんたこそ何言ってんのよ……お菓子が唄うわけないでしょ!? お菓子はね、食べて美味しさを楽しむもの! 楽器じゃないのよ!?」
「そうだよ……吸血鬼の世界じゃどうか知らないけどさ。人間は普通、そんなアクティブ極まりないお菓子なんて作らないよ」
 続けて言うフィリガルに、吸血鬼は眉根を寄せ、そんなことはわかっている、と偉そうにのたまった。
「普通の菓子ではないと思ったから、お前たちのような者を探しておったのではないか。やはり、簡単に作れるものではないのだな? しかし頼む、そこを曲げて、ひとつでいいからこの我の為に作ってやってはくれぬか」
「……いや。作るもなにも、そんなお菓子、見たことも聞いたこともねぇし」
「おとぎの国じゃあるまいしねぇ」
「なにッ!?」
 至極当然のことをさらりと告げる彼らに、しかしローダは大いに衝撃を受けたようだった。元々白い顔がさらに真っ白けになり、ふらふらと体が斜めに傾ぐ。
「そ……それは、ま、まことか? 貴様ら、唄う菓子の存在を知らんと申すかッ!?」
「まぁ、うん。てゆーかないし、そんなお菓子」
「なんたることだ!! そ、そんなバカな。貴様らそれでも名の知れた職人か!? 言うに事欠いて知らぬなどと。もはや人間はそこまで墜ちたか、うを、をを、うおわっ!?」
 ぴょんぴょん跳ねた所為でバランスを崩し、またどてちんと床に転がるローダ。今度は起きあがろうとせず、うつぶせのままじたばたと壁を蹴りつけ、額で床を打って叫んだ。
「うおおおーッ! 無駄足とは、無駄足とはまさにこのことよ! ついに念願叶うと思い、心弾ませた己が恥ずかしいわ! やはり人間ごときを信用したのが間違いであったぁぁぁっ!」
「なんか、勝手にぼろくそ言われてるし……。そんな突拍子も面白味もないこと言われたって、知らない以外に言うことないよ」
 珍しく冷静にコメントするフィリガル。
 突然、吸血鬼の声に嗚咽が混じった。思わずギョッとする――彼はごろごろと石床を転げ回り、ガンと向こうの壁にぶつかったかと思うと、次はガシャンとこちらの鉄格子に自分の顔を叩きつけた。低く呻き、ぼたぼたと涙を流す。
「む、無念だ……ちょうど、今回で二十七組目。縁起もよいし、今度こそはと思ったというのに……!」
「……ね、ねぇ。その……あたしたちのことって、誰から聞いたの? そういえば」
 なんとなく可哀想になってきて、レイリーはそう聞いてみた。気力なく床に寝そべったまま、ぶつぶつとローダが呟いて返す。
「オリーズという、老いた人間だ……随分と話の分かる男であったから、その推薦ならばと期待したのだが。とんだことよ――」
『オリーズ!?』
 声がハモる。フィリガルが、ようやく乾いた鼻の下の血を指でかき落としながら言った。
「オリ爺かよ!? ったく、ふらふら〜っとまた旅に出たと思ったら、何やってんだ一体」
「相変わらずみたいね……。でも、オリーズさんの紹介だって言うなら、この吸血鬼一応信用できるかな?」
「ちょっと待て今の今まで信用しておらんかったのか貴様ら!? 少しもか!?」
 当たり前じゃん、とはあえて言わないでおく。レイリーは椅子から立ち上がって、アルトを手招きした。銀縄を解き、吸血鬼を牢屋から出してくれるよう頼む。
「知人の知り合いらしいの。法的に問題なければ、お願いしたいんだけど……?」
「は、はぁ。まぁ、今は昼間ですし……見張りはつけることになりますが」
「レイリー……? どうするつもりだい?」
 がちゃがちゃと牢屋を開けるアルトを見ながら、小さく肩をすくめる。
「オリーズさんが、あたしたちを訪ねるよう仕向けたんでしょ? ならとりあえず、もっと話を聞いてあげるべきだと思うし……それに、ちょっと興味ない? 唄うお菓子って」
「……正気か? いくらなんでも歌だぞ、歌。ありえねぇって」
「でもひょっとしたら、あたしたちが知らないだけで、ほんとにあるかもしれないじゃない! 吸血鬼にのみ伝わるお菓子、って感じかもよ? とにかく、話を聞いてみるだけの――」
 ぬう、と背後に気配が現れ、レイリーは振り返った。
 戒めを解かれ、ローダが牢屋から出てきたところだった――近くで見ると、結構デカい。マイクほどの上背はないが、レイリーからすれば頭ひとつ分は違う。牢屋の暗がりでも目立った肌は、いざ松明に照らされてみるとなおのこときっぱりと白く、それだけで人間の雰囲気ではなかった。爛々と光る目は燃えるように紅い。口元からわずかに覗くのは、伝え聞く通りの尖った牙。魔布ジギニードをばさりと払い、にやりと不敵な笑みを浮かべて……!
「……な……なぜ、拳を握る?」
「あ」
 思いきり身構えた彼女に、逆にローダが身を退いた。
「い……いや、べ、別に? あは、あはははは」
 ひらひらと適当に手を開いて、レイリーは踵を返した。じっと見つめるフィリガルたちに、つとめて明るくにっこりと笑う。
「大丈夫だよ。……たぶん」
 二人が浮かべた表情は、さすがに微妙なものだった。