第二話−5


 翌日。
「イヤですわぁーと言いましたのに〜〜〜! レイリィ〜!」
「いけませんわよ〜エリナ姫様。勉学のお時間でございます」
 リルクアナ城第二外門は、正門から九十度の位置にある通用門である。街や城の構造上、一部の文官たちはこちらから登城する。正門に負けず劣らず大きな、人通りの多い場所なのだが――その門前に、姫のはばかりない泣き声が響き渡っているのである。
 じたばたと暴れ、喚き騒ぐ彼女を、専属家庭教師である中年の女性が笑顔で押さえ込んでいる。両手でがっちりとホールドし、ずりずりと第二外門のほうへ引きずっているのだ。
「いやーっ! リーザ先生、お願いですから放して! レイリー、レイリーがぁ〜!」
「おほほほほ、今生の別れでもありますまいに。それよりも、昨日エスケープしてくださいました平準化論のテスト、今からやっていただきますからね?」
「そんなっ!? 先生ごめんなさい、もう二度と、二度と逃げたりいたしませんわ! いたしませんから後生です、お願い、今だけは見逃してくださいませぇぇぇ!」
「おほほほほほほ、なりません」
「お父様のばーかぁ〜〜〜ッ!」
 レイリーたちはおろか、たまたま通りかかった官僚たちまでもがぽかんと見守る中、エリナは哀願の叫びに尾を引かせ、門の向こうへと消えていった。ぞろぞろと、護衛のラノーがその後に続く。
「……なんてゆーか……元気なお姫様よね、ほんと」
 呟いたレイリーの衣装は、いつもの白い調理服ではなかった。登城前に着る普段着でもない。
 膝丈のパンツに、特殊な織り込みの強靱なストッキング。要所をシーサーペントの鱗で防御したレザーベストに、黒い多目的ベルトを締めている。腰には矢筒、背には弓、足元には頑丈なブーツ――長旅に適した、動きやすい、彼女愛用の旅装だった。
 隣に立つフィリガルとマイクも、彼女と似たような格好である。そう、彼女たちは既に、出発準備を整えたのだ。昨日の今日だが、いざ行くとなったら迅速に動かねばならない。致し方ないこととはいえ、菓子職人の職務から離れることには違いないのだから。
「ティオリの森は、ラエブーツ共和国にある。隣国とはいえ、かなりの距離だ。前回みたく切迫した事情もないし、幌馬車を用意してもらったよ。問題ないだろ、レイリー?」
「……それはいんだけどさァ」
 大人しい馬のたてがみを撫でつつ言うフィリガルに、レイリーはうろんな目を向けた。このクソ暑い時期、意地でも黒マントを外さない変人嗜好にはもう慣れたが、聞いておかねばならないことがある。
「あの吸血鬼……ローダは? 姫が存在感ありすぎてすっかり忘れてたけど、あいつ昨夜はどうしてたの?」
「ああ。いや、昨日はボクも忘れてたんだけど、どうやらあのままラノーのご厄介になったらしいよ。今、アルトちゃんが連れてきてくれてる」
「そういえば俺も忘れてたな。吸血鬼の割にはいまいちインパクトが微妙だったもんで」
 実は結構細かいことにまで律儀な性格のマイクに言われては、ローダも泣けるというものだろう。しかし実際、彼の第一印象はあのブラックミノムシなのであり、しかもそれが吸血鬼だったという問答無用の衝撃によって、固定イメージ化されずに流されていってしまったのだ。ただの変人一号的認識になっている、と言い換えるのは酷すぎか。
 レイリーはぽりぽりと頬を掻き、小首を傾げた。
「でも、連れてくんでしょ、あいつ? 当事者なんだし」
「まぁね。ボク的には、連れていくことにあんーまり意味を感じないんだけど。でも、一応の用意は、今朝――」
「待たせたな、菓子職人の諸君!」
 どこぞの薬物学者のようなセリフが響き渡り、三人は再び門を振り向いて――
 沈黙した。
「いやぁ、地下は寒かった! 夏であるのに実に寒かったぞ! お前らもしかして、闇の血族は寒さを感じないー、などと都合よい誤解をしておるのではあるまいな?」
 べらべら喋りつつ出てきたのは、第一印象通りの代物――つまり、漆黒のマントで全身ぐるぐる巻きの、ミノムシに酷似した異様な物体だった。爪先すら見せずにちょこちょこと歩き、巨大な門柱にごいんと激突する。
「ぐわっ!? な、なんだこれは。どういうトラップだ」
「違うわよ、そっちは壁! レイリーさんたちはこっち!」
「む、すまんな」
 後からついてきたアルトは、どうやら非番らしく私服だった。ぐるぐると回転する怪物体を引っ張り、黙然と見守るレイリーたちの前に連れてくる。
「お待たせしました、レイリーさん!」
「……あー。その、ご苦労様、アルトさん……でも、ええと。あたしたちが待ってたのって……コレ?」
「コレとはなんだ、コレとは!?」
 不愉快げに喋る黒塊。やはりどうにも、彼が吸血鬼ローダで間違いないらしい。ため息をつくレイリーに代わって、フィリガルが呆れた口調で言った。
「何やってんだよ、お前……? またジギニード巻いて。そんなにミノムシが好きなのか?」
「だからいちいちミノムシと言うな! 失礼に思う感覚がないのか。これは太陽の光から身を守るための、闇の血族に代々伝わる由緒正しき防御法なのだぞ!」
 なるほど、吸血鬼の一族というのは、由緒正しくセンスが悪いようだ――と、レイリーは頭の片隅で思った。というか、だんだんバカらしくなってくる。エリナ姫の言う通り、こんなヤツの話を信じて出発などしていいのだろうか? 前も見えない防御法など、つまりはやられっぱなしではないか。
(ああ、見えないから、カッコ悪いってのがわかんないのかもね……)
 ぼけら〜と思うレイリーに、ローダは堂々と主張を続けた。
「我等血族にとって、日の光は天敵。気合いの入っとらん若い連中などは、浴びただけで消滅してしまうことにもなりかねんのだ。無論、我はそんなことはないがな」
「てゆーか、気合いの問題なんだね……」
「しかし、お前たちがティオリの森へ向かう決心をしてくれ、さらにこうまで早速行動してくれることは、大変嬉しく思っておる。だからこそ我も、こうして頑張っているのではないか。それをまたミノムシとはなんともまったく――」
「ややこしいおっさんだなァ、ほんと」
 おっさんだとぉ、といきり立つローダを横目に、レイリーはマイクに言った。
「どーする? 連れてくのは構わないけど、あんなの入国で引っ掛かるよ」
「吸血鬼なんで仕方ないんです、とか答えるわけにもいかんだろうしな。うーむ……」
「ヘイヘイ二人とも、だ〜いじょうぶだって。そこら辺も抜かりはないぜ〜?」
 またどうせ適当言っているのだろうと思いきや、フィリガルはレイリーを馬車に手招きした。なにやら笑顔で、幌で覆われた荷台の中を指さしている。
 覗き込んでみると――そこには、ちょうど人一人入る大きさの、真っ黒い箱がデンと置かれていた。荷台の大部分を占拠して、なんともいや〜な雰囲気を漂わせている。
 しばし無言でそれを見つめ、レイリーはぽつりと、
「……棺桶」
「そう! ね、吸血鬼といえばこれしかないだろ!? いや〜さすがフェルギオラだよね。ちょっと探せば、棺桶なんてもんでもバッチリ売ってる店あるんだから」
「ここ墓地ないのにな」
「なに、棺桶だと!? ちょっと待て、お前らまさか、我をそれに押し込める気ではあるまいな!?」
 会話を聞きつけたのか、ジギニードから顔も出さずにローダが言う。そーねー、とレイリーは頷いた。
「まぁ、イメージはどうあれ、手としてはいいかもね。棺桶だったら、いちいち中身を訊かれることもないだろうし」
「そうだな。ちょっと場所とるけど、普通に連れてくよりはマシか」
「わ、我は御免だぞ!? どうして我々血族が、人間の、しかも死者と結びつけて考えられているのか、さっぱりわからん! 我等には死後、箱に収まるような習慣はないが、それにしたって気分が悪い。断る!」
 フン、と吸血鬼は胸を反らす。
 しばし間を挟み――にっこり笑って、レイリーは突然トンとその足を払った。
「おっ?」
 ぼて、とあっけなく倒れるローダ。アイコンタクトひとつで意志疎通したマイクが、軽々と彼を抱え上げ、馬車の中へ放り込んだ。ぱたん、とフィリガルが棺桶の蓋を閉める。
「アルトさん、銀縄くれる?」
「あ、は、はい」
『おいコラ貴様ら!? やめ、やめんか、むぅぅどうなっておるのだ!? 何か狭い、何なのだここは、あ、わかったぞもう棺桶の中なのだな!? おのれ卑怯な! 負けん、負けんぞぉぉぉ!?』
 ガタゴトと暴れるローダを閉じ込めたまま、三人がかりで棺桶に銀縄を巻き付ける。ギュ、としっかり結びつけて、レイリーは晴れやかに額の汗を拭った。
「さて。じゃ、行こっか?」
「おう」
「ほいさ」
 フィリガルが御者台に座り、ピシリと軽快に手綱を鳴らす。
「いってらっしゃーい」
『こんな扱いは認めーん!?』
 手を振るアルトに見送られ、彼らはリルクアナ城を後にした。