第二話−7


 その頃、建物の外では。
「む〜ん……」
「お。やっとお目覚めかい、マイク? 熊みたいな声出すなよ、ハマりすぎてて怖いから。っておい、どこ行くんだ?」
「ここ、村だろ……? どっかで水借りて顔洗ってくる。あれ、レイリーは……?」
「そこのボロい建物の中だよ。てかお前大丈夫か、まだ夢見てんじゃないの?」
 ふら〜りふら〜りとよろめきながら去ってゆくマイクを眺め、フィリガルは小さく鼻を鳴らした。あれだけデカいと、千鳥足なだけでも周りに迷惑だ。
「ま……ボクにとっちゃ、好都合だけどね」
 くっくっく、と低く笑い、フィリガルは髪をかきあげた。ちら、と視線を巡らす――通りの先の雑貨屋かなにかに、数人の女の子がたむろしているのを見つけて、さらにその笑みがにんまりと深くなった。
「ふふふふふ……甘い、甘いよレイリー。本当にこのボクが、旅に出て一度もナンパしないとでも思ってるのかい? だとしたら大間違いだ。なめちゃいけないよ、クククク」
『何を言っとるのだ、お前は……?』
「あ? なんだ、起きてたのかよローダ。ふっふ、いいだろう、教えてやるよ」
 ばさっ、とマントを打ち払い、フィリガルは強い眼差しで空を睨んだ。
「引っかけた子と即シケコんでちゃ、そりゃ殴られて当然だ! だからボクはね、リリースすることにしたのさ――今は大事な旅の途中なんだ、帰りに必ずまた立ち寄る、その時もし再び会えたら、二人っきりで食事に行こう――こう言うと、女はみんなボクが忘れられなくなる。そして帰りに偶然出会えたら、運命を感じてときめきまくるって寸法さ!」
『前から思っとったが……お前、アホだろう』
「うるさい人外魔境。箱詰めミノムシは黙ってろ、埋葬するぞ!?」
 ぴょんと馬車から飛び降りて、彼は馬車にすちゃりと片手をあげた。妙に極まったさらばポーズだが、見る者がいないのでアホらしいだけである。
「それじゃ、ボクはちょっと行ってくるから。すぐ戻るけど、知らない人が来たら追い払っといてくれよ」
『どうやってだ、たわけ……!』
 てってけてー、と実に楽しげに、フィリガルは道を駆けていった。脱力したローダの悪態が、果たして聞こえていたかどうか。  周囲が静かになって、しばし。
 がったんごっとんと、新たな馬車がその場にやってきた。レイリーたちの馬車の真後ろに停まり、御者台から、いかにもよぼよぼと頼りない腰つきの老人が二人下りてくる。杖をついた老爺と、それを支えているのか逆に支えられているのか微妙にわからない老婆だ――夫婦なのだろう、彼らはレイリーが入った建物の前でぴたりと立ち止まった。
「おじいさん」
「…………」
「おじいさんったら」
「ん。おー、なんだ」
「おじいさんったら!」
「なんだと言っとろうが!」
 夫婦揃って耳が悪いらしい。奇妙なテンポでもごもごと、口をすぼめて言い合っている。
「なんで、下りてきたんでしたっけ……?」
「お前がトイレに行きたい、と言うたんだろうに」
「はぁ。そうでした、そうでした。おトイレに行きましょう」
 頷いて、一緒に建物に入ってゆく。とても仲のいい夫婦ではあるらしい。
 しばらくして。再びドアが開き、二人がよぼよぼと戻ってきた。なにやら不満そうな表情で、ぶつぶつ呟いている。
「気づいてももらえんかったのう……」
「…………」
「おい、ばあさん」
「はい?」
「ばあさんや!」
「はいな!」
 どうやら、このやり取りは日常茶飯事らしい。
 二人は揃って御者台に乗り込み、お爺さんが手綱を取った。なんとも切なげな、遠い瞳で空を仰ぎ、ため息をつく。
「若い人は、どうしてああも騒ぎたがるのか……老いた者の話には、耳を貸そうともせん」
「勝手におトイレを借りてしまいましたねぇ」
「喋るのに夢中で、こっちを見もしないとはな……」
『? おい、フィリガルか……? 戻ってきたのか? おい』
「でも、おじいさん。喋っているのは、片方だけだったような気もしますがねぇ」
「そうだったかな。だが、同じことだ。息子らと同じで、ちぃとも言うことなど聞きゃせんのだよ」
「詮無いことですねぇ……」
『レイリーか? いや、違うな? おい誰だ、貴様ら。聞こえているなら――』
「さて。はよぅ戻らにゃ」
 ぴしッと手綱が鳴り、馬車が動き出した。がたごとと揺れながら道を進み、談笑する若い男女の隣を過ぎ、やがて村から外へ出てゆく。
「とっとと帰って、フリッツに荷物を届けてやらんとな。おいばあさん、積み荷はちゃんとあるか?」
「はいはい、積み荷ですね……」
『やいコラ!? 貴様ら一体何者だ!? 闇の眷属たる我をどこへ連れてゆくつもりだ。この、むぅ、くそ、出せ! 成敗してくれるわ!』
 幌の中を振り向いたお婆さんは、何やら喚きつつガタゴト揺れる棺桶を目にして、にっこりと頷いた。
「おじいさん、ちゃんとありますよ。棺桶」
「うむ。ひょっとしたら、わしらが入ることになるかもしれんがの」
「そうですねぇ。仲良く一緒に入りましょうね」
『何、入ってくるだとッ!? 貴様ら正気か。上等ではないか、かかってこいッ!?』
 荒れた道を、ガタガタと。決して老夫婦には聞こえない叫びを撒き散らしながら、馬車はただただ前へ進んでいった。


 さて。
 激流のごとき世間話の渦からなんとか抜けだし、レイリーが馬車に戻った時、御者台にはマイクが一人ぼ〜っと座っているだけだった。まだ眠たげな様子で空を眺めているが、糸目な彼のこういう表情は、結構アンバランスな可愛らしさを醸し出していたりもする。
「やほ、マイク。起きてる?」
「起きてるぞ、一応……う〜む、移動中に熟睡できなくなってるな。ちょっとなまってきたのかもしんねぇ」
「そりゃ、毎日お菓子ばっか作ってるしね。フィルは?」
 さぁ、と肩をすくめるマイク。荷台の中を覗いてみたが、ローダの棺桶――なぜか上に毛布が掛けられている。マイクのお茶目だろうか?――が鎮座しているだけで、フィリガルの姿はなかった。
「……? あのバカ、どこ行ったのかしら?」
「ナンパじゃねーの」
「おいマイク、勝手なこと言うな! 誰がナンパなんてするかよ!」
 必死な声に振り向くと、フィリガルが走って戻ってきていた。馬車に辿り着くと、どこかわざとらしい笑みをにっこりと浮かべる。
「や、やァ。ごめんよレイリー、向こうにここ名産のジュースを売ってる屋台がいてね。菓子職人としての興味から、ちょっとだけ行ってみてたんだよ」
「あ、へぇ、そんなのあったんだ。あたしも飲もっかな」
「いやいやいやそのダメだよレイリーそれはマズい、いやすごくマズかったから! あんなマズいジュースが名産だなんて、ここらも知れたもんだねぇーあはははー」
 胡散臭そうな目で見るマイクを押しのけ、フィリガルは荷台に乗り込んだ。バシバシと肩を叩いてきながら、焦ったように促す。 「ほらほら、早く行こうじゃないか! ティオリの森まではあとどのくらいだって?」
「……。歩きで半日くらいだってさ。今から行ったら、夜に着いちゃうんじゃないかな」
「ほほー、夜ね。いいじゃないか、ローダが動ける時間帯だよ。な、ローダ?」
 返事がない。振り向いて見ると、フィリガルは棺桶に掛かっていた毛布をひっぺがし、もぞもぞとくるまって横になるところだった。
「じゃ、ボク寝るから。着いたら起こしてねー」
「はいはい……マイク、だいじょぶ?」
「おう。お前も、眠かったら寝ろよ」
 マイクの言葉に、苦笑して肩をすくめる。ティオリの森に着いてから、フィリガルとローダに番をさせてゆっくり眠るほうがいい――彼女自身、ここ最近の生活様式で、傭兵時代に培った感覚の衰えを感じているのだ。それが喜ばしいことであるのか、悩ましく感じるべきであるのか。彼女は少しだけ首を傾げ、しかしすぐに考えるのをやめた。
「げほっ、げほっ。……う〜ん、どうも埃っぽいね? 村を出たからかな……」
「さて、じゃ、急いで行きますか。マイク、前進前進!」
「あいよー」
 ゆっくりと、馬車が動き出す。彼女らは村を後にした。


 実はその馬車が、まったく見知らぬ他人のものであり、棺桶にローダも入っておらず、食料や着替え、日用品や数々の武具等、馬車に積んでいた装備一式をまとめて失ったことにレイリーが気づいたのは――
 ティオリの森に着いてからだった。